最近話題になっている「吉野源三郎・君たちはどう生きるか」を読んでみました。
漫画版
小説版
※ちなみに、私が読んだのは岩波文庫から出版されている小説版です。
小説版を選んだ理由は、本の内容を著者の文で理解したかったからです。
漫画版は、絵や吹き出しによってすでにかかれてあるので、著者の文書を想像することができません。
これから読まれるという方であれば、小説版をおすすめします。
感想
ネタバレにならない範囲で、本の内容をざっくりと紹介します。
主人公は、コペル君という少年です。
叔父さんや学友との交友関係を中心として、コペル君の成長を描く物語となっています。
普段あまり話さない友人と仲良くなったり、上級生からのいじめなど、青春時代に誰しもが通るであろうイベントが書かれています。
その中で、コペル君は苦悶し、思考し、成長していきます。
ですが、ただの青春小説ではないのです。
叔父さんがキーマンになるのですが、コペル君と叔父さんの掛け合いのなかにこそ、この物語の本質があると言っても過言ではありません。
どいうことかというと、叔父さんとコペル君は、「おじさんのNote」という交換日記をやりとりしています。
この交換日記の中で、叔父さんがコペル君にアドバイスを送るのですが、その言葉はおそらく読んでいる私たちに向けられているであろうことが、読んでとれます。
時に哲学のような、時に歴史から、時に経済の切り口で語られる叔父さんとの交換日記は、ある種人生の指針を示しているように思えます。
1937年に出版された「君たちはどう生きるか」ですが、当時ファシズムが世間を席巻している時代に、「自分」という存在について、読者に指針を示したことは画期的だったことでしょう。
それがなぜ今流行しているのでしょうか。
もしかすると、今日の日本における経済不況や、SNSの登場による人間関係の希薄さなど、そういった要素が絡んで、流行っているのかもしれません。
漫画版・小説版共にAmazonのレビューを見てみると、40〜50代と幅広い年齢層が読んでいることがわかります。
この世代はバブルを経験した世代です。
高度成長期で経済は右肩上がりで、仕事をすればするほど昇級し、自己効力感を得られていた世代です。
これは私の推論ですが、先行きの見えない経済不況に、これまでやってきたことは果たして正しかったのだろうか、そう考えているのではないでしょうか。
むしろ、肯定してくれる何かが必要だったのではないでしょうか。
混迷の時代に流行ったこの小説が、80年の時を経て再流行しているのは、皮肉とも言えます。
様々な経験を経て、年を重ねられたいい大人の人が読むには物足りないかもしれませんが、10〜20代の若者が、80年前の生きるための指針と哲学を理解したいのなら読むのは得るものが大きいかもしれません。
他者との繋がりが自我の基盤だった時代は終わり、全てがシステムで管理される現代においてはよほど重要なことかもしれません。